読解対象
ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』和田忠彦訳、岩波現代文庫、2018年。
ホルヘ・センプルン『人間という仕事──フッサール、ブロック、オーウェルと抵抗のモラル』小林康夫・大池惣太郎訳、未来社、2015年。
レッスンのポイント:長文引用練習・特性列挙練習
原ファシズムとは何か
エーコは自身が体験したイタリア・ファシズムは固有の哲学を持っていない、あったのは修辞だけだと述べる。しかしイタリア・ファシズムこそ軍事宗教やフォークロアを初めて作り出したとする。(エーコ2018:38-39)
しかし、全体主義運動においてイタリア・ファシズムは、その一部にしか過ぎないのに、なぜ「ファシズム」という言葉がその全体を表すようになってしまったのか。エーコは聴衆を「提喩(メトニミー)の機能」の謎に直面させる。つまり、ナチズムは明確な明確な政治綱領宣言をもち人種差別とアーリア主義の理論を装備し反キリスト教思想の陣容を備えていた点で、唯一無比である。それに対してファシズムの方はそのような陣容はなく、もっとファジーな存在であったために、他の政治運動や政治体制と家族的類似性を形成しやすいということである。(エーコ2018:46-47)
いずれにしても、たとえ政治体制が転覆され、その結果、体制のイデオロギーが批判され非合法化されることはありうるとしても、体制とそのイデオロギーの背後には、かならず特定の考え方や感じ方、一連の文化的習慣、不分明な本能や不可解な衝動が渦巻く星雲のようなものが存在するわけです。(エーコ2018:36)
かつてイヨネスコが「大切なのは言葉だけだ、それ以外は無駄話だ」と言ったことがあります。言語的習慣は往々にして、表出されない感情の重要な兆候なのです。(エーコ2018:36)
エーコは、このような言葉の特徴に焦点を当てて、ファシズムと呼ばれる政治運動に典型的に現れる特徴を十四点あげて、それを「原ファシズム(Ur-fascismo)」もしくは「永遠のファシズム(fascismo eterno)」と呼ぶ。「原」というのは原初的ということであり、「永遠の」というのは「歴史上存在したあのイタリア・ファシズムではなく、他にも将来的にも出現しうる」というような意味合いであろう。この十四点の特徴がとても的中度が高いので、順次ていねいに読んでいきたい。
一点目は「伝統崇拝」。
結論からいえば、「知の発展はありえない」のです。真実はすでに紛れようもないかたちで告げられているのですから、わたしたちにできることは、その謎めいたメッセージを解釈しつづけることだけなのです。ファシズム運動の一つひとつの目録を点検し、そこから主要な伝統主義思想家たちを洗い出せばすむことです。(エーコ2018:49)
なぜなら、この知的伝統は混合主義的なものであって、対立する考え方が併存する矛盾をもともと抱えているから。それらの伝統を任意に組み合わせてしまうところがファシズムだということ。
二点目は「モダニズムの拒絶」。啓蒙主義や理性を近代の堕落とみなす。それゆえ非合理主義と規定される。
三点目は「行動のための行動を崇拝する」こと。考えることは去勢の一形態とされ、自由主義的な知的世界は告発と攻撃の対象になる。
四点目は「混合主義であるために批判を受け入れられない」こと。「意見の対立は裏切り行為」とみなされる。
五点目は「余所者排除」であり「人種差別主義」であること。
六点目は「欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ」であること。
七点目はナショナリズムであるがゆえに「陰謀の妄想」がその心性の根源にあること。「外国人嫌い」の感情に訴えるのが手っ取り早い手段になる。
八点目は頻繁にレトリックの調子を変えるために「敵は強すぎたりも弱すぎたりもする」こと。結果的に敵の力を客観的に把握できない。それが体質になっている。
九点目は「生のための闘争」ではなく「闘争のための生」とされること。あるのは最終解決のみであり平和主義は悪とされる。
十点目は「大衆エリート主義」を標榜すること。
十一点目は「一人ひとりが英雄になるべく教育される」必要が強調される。英雄主義が規律となる。「原ファシズムの英雄は、死こそ英雄的人生に対する最高の恩賞であると告げられ、死に憧れるのです。」(エーコ2018:56)
十二点目は永久戦争や英雄主義が困難なためマチズモのように性の問題にすり替えること。男根の代償としての武器いじり。
十三点目は「質的ポピュリズム」。
原ファシズムにとって、個人は個人として権利をもちません。量として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわすのです。人間存在をどのように量としてとらえたところで、それが共通意志をもつことなどありえませんから、指導者はかれらの通訳をよそおうだけです。委託権を失った市民は行動に出ることもなく、〈全体をあらわす一部〉として駆り出され、民衆の役割を演じるだけです。こうして民衆は演劇的機能にすぎないものとなるわけです。(エーコ2018:57)
十四点目は「新言語(ニュースピーク)」を使用すること。貧弱な語彙と平易な構文に限定して総合的で批判的な思考ができないようにする。ニュースピークとはオーウェルが『一九八四年』の中で使用した用語法で、最近出た新訳の中では付録として「ニュースピークの諸原理」がある。これはまたの機会に集中して扱いたい。ジョージ・オーウェル『1984』田内志文訳、角川文庫、2021年。
以上十四点を一気にまとめてきたが、それらは相互に呼応している要素として説明されており、それをあえて切り分けて分節化して見せているのである。がっちり組まれた特性群だと、なかなかきれいに適用できないことがあるから、あえて要素をばらして並列しているのである。そのおかげで、これらは歴史的現在の政治を評価するさいの徴候測定装置として役立つ。
原ファシズムが感情政治あるいは感情動員の形式であることがよくわかる。そして、この感情は言葉あるいは言説によって動員されるのである。
ここにはいくつかの塊があるように思うが、その塊はある程度までは必然的につながる。ここの含まれた修辞学的要素が相互に結合することで、そこに求心力が生じて一種のハブになる。ハブができるとネットワーク外部性が作動してハブと周囲のノードが次々に連結して明確な物語性を持つようになる。そういうことだとすると、ばらばらに言説が生み出されていくプロセスにおいて接合の力を絶たないといけないということになる。それが例外状態を成立させないための手立てである。
エーコのこのやり方は言説分析の一つのスタイルであるように感じる。じつは私もかつてこのような形で健康主義(ヘルシズム)を説明したことがある。野村一夫「健康クリーシェ論──折込広告における健康言説の諸類型と培養型ナヴィゲート構造」佐藤純一・池田光穂・野村一夫・寺岡伸悟・佐藤哲彦『健康論の誘惑』文化書房博文社、2000年。
表2 折込広告における健康クリーシェの諸類型
■近代医学模倣言説系(1)栄養学的言説(2)検査値言説(3)医学的権威主義(4)ストレス言説
■伝統回帰・減算主義的言説系(5)非西洋医療権威主義(6)伝統主義(7)自然治癒力主義(8)薬の忌避・薬害への恐怖(9)無添加主義(10)素材よければ主義
■道徳言説系(11)継続は力なり言説(12)良薬口に苦し言説(13)リスク放置非難言説(14)嗜癖不道徳説(15)死の恐怖(16)性的健康(17)フェティシズム的道徳
■救済言説系(18)まだ間に合う言説(19)万病解決言説(20)お手軽主義(21)遍歴言説(22)生まれ変わり言説
■身体アイデンティティ言説系(23)体質という個性(24)恋愛共同体への誘惑
■承認言説系(25)半信半疑言説(26)他者の承認(27)マスコミで話題言説
■汎用言説系(28)健康の汎用性
これは原ヘルシズムではなく最小公倍数としてのヘルシズムである。ここから抽出して原ヘルシズムの構成要素を組み直すことができそうである。それは今後の課題としたい。
また「換喩とは何か」について書くつもりでいたが、今回は見送る。レトリック論について重点的に書く計画があるので、そこでやることにしたい。
ファシズムと闘う、あるいはファシズムに耐える
センプルン『人間という仕事』副題は「フッサール、ブロック、オーウェルと抵抗のモラル」である。原題では「抵抗のモラル」となっている。
読み始めは、いったいどんな共通点があるのかと思ったが、三者がそれぞれの場所で一九三〇年代のヨーロッパの危機に直面して、どのような精神で抵抗したかについての講演であった。しかし実際には三者だけでなく、その周辺や同時期に行動した知識人の話がたくさん出てきて、ナチズム、ファシズム、スターリニズムに席巻されるヨーロッパの知識人たちの群像が語られる。フッサールとオーウェルはある程度わかっているがアナール学派のマルク・ブロックの抵抗活動と最期についてはよく知らなかった。センプルンはブロックの『奇妙な敗北』を主軸に語っている。センプルンは三者に共通する抵抗精神を「批判的合理性」「理性の勇敢さ」「民主主義に対する信」「民主的理性」と呼ぶ。こういう確信こそこれからも反復して学び直すべきものだということである。
さて、もう少し詳しく見ていこう。最初の講演は「エトムント・フッサール 一九三五年五月、ウィーン」と題されている。フッサール晩年のウィーン講演「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」についての章である。この講演の最後の部分は次のようになっている。センプルンの翻訳書から抜き出してみる。
ヨーロッパ存続の危機には二つしか出口がありません。ヨーロッパがそれ本来の理性的生の意味から遠のいて没落し、精神に対する憎悪と野蛮のなかに失墜するか、それとも理性の勇敢さ(ヒロイズム)によって自然主義を最終的に超克し、そこから哲学の精神を通して再生するかです。ヨーロッパにとって最も危ぶむべきは倦怠であります。良きヨーロッパ人として、この危険のなかの危険と戦おうではありませんか。戦いが果てしなく続くことに怯まぬ勇気をもって。そのとき私たちは目にするでしょう。このニヒリズムの猛火、人間性に対し西洋が使命を帯びていることを疑わせる絶望の逆巻く炎、巨大な倦怠の灰傭から、新たな内的生と新たな精神的活力に満ちた不死鳥が、人間の遠大な未来の保証として蘇るのを。なぜならば、精神のみは不減なのですから。(センプルン2015:11)
「戦おうではありませんか」の文は意外な感じがする。平凡社ライブラリーに収められた清水他吉・手川誠士郎編訳では次のような訳文になっている。
もしわれわれが、「善きヨーロッパ人」として、無限に続く闘いにも挫(くじ)けぬ勇気をもち、諸々の危機のなかでも最も重大なこの危機に立ち向かうならば(後略)(M・ハイデッガーほか『30年代の危機と哲学』清水多吉・手川誠士郎編訳、平凡社ライブラリー、1999:95)
ここでは「立ち向かうならば」と訳されているのは、「立ち向かおう、そうすれば」ということだと理解しておく。センプルンは「戦おうではありませんか」という呼びかけを特筆しているので、ここではそれに従う。
それほど切迫した一九三五年のヨーロッパ。その危機において知性の抵抗はどのようであったかをセンプルンは描き出す。歴史的背景は次の四点。独仏の和解の失敗、一九二九年の経済恐慌、計画主義の発展、大衆化の拡大。そしてスターリン主義の増幅。このなし崩し的な歴史の転回の中で、七十六歳のフッサールを始め、フロイト、ヤスパース、ムージル、ジード、マルク・ブロック、アルブヴァックス、ベンヤミン、レオン・ブルム、オーウェルたちの知的抵抗が描かれる。短い講演の中にヨーロッパ知識人の動向が収められている。フロイトは一九二〇年から二一年にかけての『集団心理学と自我分析』の中でいち早く大衆化現象に言及し「大衆化の現象においてはカリスマ的なリーダーが現われ、その出現が決定的な役割を果たす」(センプルン2015:15)ことを指摘していた。ムージルはフッサールの講演のひと月後のパリ講演で「集団主義(コレクティヴィズム)の興隆を問題にしていた。センプルンはこう述べている。
私が思うにフッサールこそ初めて、哲学的観点から、知的観点から三〇年代の危機と将来の危機に対する唯一の解決策としてヨーロッパの超国家性を構築する必要を表明したのです。(センプルン2015:43)
そして、それを真に受けて受け継いで死んだのがマルク・ブロックだという。彼が一九四〇年に原稿を書いた『奇妙な敗北』にそれが読み取れるという。この本については、そのうち正面から取り上げることにしたい。
これらの事態を引き起こしたナチズムの進展についての再確認になるが、センプルンが強調している中で再認識したことを三点あげておきたい。
第一に、現代的なユダヤ人排斥運動が始まったのはフランスのドレフュス事件からだということ。ここから伝統的な反ユダヤ主義は大衆的な反ユダヤ主義、民衆的な反ユダヤ主義に移行したということ。
第二に、「ドイツにおける野蛮はむき出しで、おおっぴらであり、隠されることすらしていなかった」(センプルン2015:19)のに、それがそのまま実行され続けた背景は「民主主義諸国が完全譲歩の態度をとったこと」(センプルン2015:53)だという。ヒトラーは「誰も行動を起こさないことを知っていた」(センプルン2015:54)。
第三に、フッサールとブロックとオーウェルに共通していたのは「批判的理性、民主的理性に対する同じ信念」「ヨーロッパ的批判精神の起源にある批判的理性」(センプルン2015:106)だということ。
もちろん彼らが成す同一性、彼らが成す精神的共同体には微妙な差異があります。三人のうちおそらく最もヨーロッパ的なのはエトムント・フッサールでしょう。ブロックやオーウェルの場合と違い、フッサールにとってヨーロッパの問題は彼の考察の中心にありました。フッサール は実際、[ドイツではなく]中央ヨーロッパの知識階級(インテリゲンチャ)として語っています。つまり、(理性という言葉のカント的な意味における)世界市民主義(コスモポリタニズム)に最も慣れた地域の知識階級(インテリゲンチャ)としてです。彼はまた、災厄を前にしながら、その終りについて、災厄のあとにやってくるはずのことについて語っています。マルク・ブロックとオーウェルは反対に、災厄のなかで、つまり爆弾の下、ナチスの侵略のさなか、あるいはその可能性の脅威のなかで語っています。ブロックが語ったのは他国による占領下であり、オーウェルが語ったのは他国に占領されるという見通しのなかででした。(センプルン2015:106)
その一方でハイデガーはフライブルク大学総長時代に次のようなことを考えていたという。
フェディエが細心の慎み深さをもって「不幸なる大学総長の年」と書いた時代のテクストがすべて収めてあるわけですが、この巻で目にする最も衝撃的な事実とは、大量の文書、声明文、調査書、大学本部の回状の終りに、あの欠かすべからざる敬礼が──もちろん当時のドイツ語の挨拶「ハイル・ヒットラー」のことを言っています──記されているということではありません。最も衝撃的な事実、それは、この大哲学者が三度か四度、自分の哲学において最も内密で最も個人的な主題(史実性、歴史性、現存在(ダーザイン)の世界への関係)を取り上げ、それをナチズムの公準との関連で再解釈し、そこに新しい生命を──あるいは死をと言うべきでしょう──与えているということです。(センプルン2015:17-18)
このあたりには先輩あるいは師匠であったフッサールとヤスパースの警告が書簡として残っている。この点については別稿を期したい。最後に私たちが教訓として学び取るべき言葉をひとつ。それは「民主的理性」という言葉である。これから常用したいと思う。
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