2020年3月4日水曜日

社会学感覚8−増補 集団的アイデンティティ

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
自我論/アイデンティティ論

「自分は何者か」を問う、その状況のひとつにエスニシティがある。エスニシティとは、言語や生活様式や宗教を基準に分類された人間集団の特性をさす概念である。人種と同様、先祖が同一であるという同類意識をふくんでいるが、人種概念が身体的・生物学的特性によって人間を分類するのと対照的に、エスニシティは基本的に文化的なものであり、社会学的かつ政治的な要素を強くふくむ。たとえばそれは政治的につくられるものでもあるのだ。
 国際社会において、エスニシティの問題はますます重要なものになっている。しかし、それはたんに海外の問題ではなく、身近な国内的テーマでもある。在日韓国・朝鮮人を中心とする在日定住外国人のケースがそれである。
 福岡安則『在日韓国・朝鮮人――若い世代のアイデンティティ』(中公新書一九九三年)は、「在日三世」を中心とする日本育ちの若い世代に焦点をあてて聞き取り調査をしたもの。手法としてはベラーらの『心の習慣』に似ているが、前半部に「在日」の問題の構図と歴史がコンパクトにまとめられている。後半には四タイプのアイデンティティ像が具体的に描かれている。
 同じ在日外国人でも在日中国人のケースは在日韓国・朝鮮人と歴史的な共通点も多いが、また少し様子がちがうようだ[永野武『在日中国人――歴史とアイデンティティ』(明石書店一九九四年)]。けれども、ひとついえることは、在日定住外国人の視点から見てはじめて「日本人」という概念への「信仰」が現代日本社会に存在することが自覚できるということだ。
 しかし、その内実はそれほど単純ではない。杉本良夫、ロス・マオア『日本人論の方程式』(ちくま学芸文庫一九九五年)は、日本人論のイデオロギー的機能を社会学的に解読した本。同種の研究としては、吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学――現代日本のアイデンティティの行方』(名古屋大学出版会一九九七年)。日本人論を自民族独自論という文化ナショナリズムの一形態として分析した研究である。日本人論の消費のされ方に着目した、この分野の先端部をゆく基本書である。これを読むと「日本人って、日本人論の好きな人たちのことさ」といった言説は言えなくなる。
 また、奥井智之『日本問題――「奇跡」から「脅威」へ』(中公新書一九九四年)は、戦後のおもな日本社会論を概観的に位置づけたもの。やはり日本人論と問題領域がかなり重なってくるのでブックガイドとして参考になるだろう。
 人間は「自分が何者であるか」を確認するために、しばしば集団的なカテゴリーに自分をあてはめる。そのカテゴリーの内側に「仲間」がおり、外側に「敵」「よそもの」が位置づけられる。集団的アイデンティティという概念はもともと集団力学的な概念であると考えた方がよいかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。